底は深淵の病み(家康×光秀)
この手に掴めずに、堕ちていく姿を見る。虚空に手を伸ばし、ゆっくりと闇に飲み込まれるように堕ちていくその眼差しは自分など見ていなくて。
自分の理想を貫くとするならば、手を差し延べてはいけないモノだ。自分の理想からは程遠く、真逆の生を生きているのだ。
けれど本当は。
その手を取り、堕ち行く闇から救い上げたかった。時折見せた闇と狂気、それを深くつなぎ止める淋しさの深淵。そこから救い上げたかった。
「行くぞ家康。」
冷たく言い放つ友の声を背に聞いた。けれど深く暗い闇の底から目を離す事が出来なかった。
目の前を歩く友の背を見る。拒絶するようにただ無言で歩く相手を見る。
「……貴様、何故先程あの人間に手を伸ばした……」
歩みを緩めるでもなく、目の前の背中が問い掛ける。
「あれは秀吉様の命に背く行為だ。」
言われて初めてその事に気が付く。自分の理想云々の前に、我が主の命に背いていたのだ。だがあの行為はただ、咄嗟であった。考えるよりも先に身体が動いていた。
ぐるぐると昔の記憶が胸の奥で渦巻いた。決して優しくは無かった。かと言って冷たくも無かった。
彼は戦場で言われる程無慈悲ではなかった。
ただその背が底無しの淋しさを湛えていた。泣きはしない。だが楽しげに笑う声が、泣きじゃくる声に聞こえる時があった。
まだ子供だった自分には、その理由は解らなかった。今でも解りはしない。
ただあの時咄嗟に手を差し出していた。淋しく彼の人を求めるあの手をとっていたなら、何かが変わっていただろうか。
彼は笑いながら泣いたりしなくなっただろうか。
「……今回は見なかった事にしておいてやる。が、次秀吉様に背くような事があれば容赦はしない。」
一瞬の間に間合いを詰められ、喉元へ刀を突き付けられていた。
至近距離からの容赦無い冷たい殺意。先程自分に容赦無い殺意を持って切り掛かってきた彼を思う。燃えるような、縋るような殺意だった。
同じ殺意でも此処まで違うものなのかと、自分に向けられたそれをまるで他人事のように考える。
奥歯でざりざりと砂を噛むような後味の悪さだ。
あの手を迷い無く掴めていたならば、どうなっていただろう。
深淵で燃えるような病み。
欲を言えば救いたかったのだろう。
子供のように泣きじゃくるように笑う彼を。
――――もしかすればあれは淡い恋や親近感に近かったのかも知れない